肉体のいやし 本の木

 

 霊魂のいやし主イエスはさらに肉体の病をもいやしてくださいます。

 

今の時代は過去のどんな時代よりも食物が危険な時です。アダムのため呪いを受けた土地であるため、野菜も果物も穀物もすべて地上から生じる産物は、全くの無農薬では生産出来ないようになっています。すでに汚染された土壌に、より多くの収穫のための農薬や化学肥料に殺虫剤、収穫後は防腐剤に光沢のワックス塗り。あたかも野菜畑というより、野菜工場と言った方がふさわしいような現代農業です。

 

また、輸入品の放射能汚染や、遺伝子組み替え食品の発ガン物質の心配。家畜においては太らせるための諸々の抗生物質や成長ホルモンに化学飼料。さらにはダイオキシンや酸性雨。大気汚染や有害物質など、私たちを取り巻く食物と環境は、いつ健康を害しても不思議でないほど悪化しています。

事実、病気の多くは食べることから原因している物が多くあります。

 

 アメリカで警視庁が発表したデータによると凶悪犯罪で検挙された第一級受刑囚のうち約七~八割は、食生活が乱れており、粗悪なスナック菓子やレトルト食品のような栄善の乏しくかたよった食生活を繰り返していたことが知られています。すなわち栄養のバランスが乱れている所から精神面にも不安定をまねき、最近の言葉でいう切れやすい性格を作っていたというのです。栄養のバランスがとれた家庭料理を家族と共にとるという、本来人間当たり前の基本を正すことからも相当分やまいを未然に防げるようです。

 

 また、日本のような火葬制度ではない葬儀スタイルをもつアメリカでは、最近、死後に土葬された遺体が通常なら数カ月で自然と朽ち果ててくるはずのものが、数年たっても腐らずにむしろ風化したままミイラになってしまうものがあると報告されています。その意味は食物に含有している防腐剤が、食物摂取とともに一生涯体内に蓄積され続けて、やがてはその人自身も腐らずにミイラ化されてしまう現象であり、現代の食物から来る目に見えない害は、確実に人類をむしばみ続けているという一つの証しです。

 

 出エジプト記一五章二五節では、イスラエルの民が荒野の旅路で飲んだマラの水に腹痛を覚え苦しみました。苦くて飲むことが出来ない、毒のような飲み水です。しかし、この汚染された苦い水を、飲むことの出来る甘い水へ変える奇蹟がそこにありました。これはむしばまれる現代人にも必要な特効薬です。主から示されたモーセが水に投げ込んだ一本の木です。

 

 これが奇蹟を起こし、飲めるように水質改善したのです。今日、この飲み水をいやした一本の木はイエスの十字架を象徴します。私たちが食前毎の感謝の祈りを捧げる特、イエスの十字架の血潮が食物中の有害物質を解毒し、安全な食べられる清い物に変化させるのです。

 

「食物は信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受ける時、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りによって、清められるからです。」(第一テモテ435

 

 ですから、私たちは市場に売っているものは偶像に捧げられた食物以外は何でも安心して感謝のうちに食べられるのです。万一、悪いものを食べて腹痛を起こしたなら、胃袋というにがいマラの水に十字架の木を役げ込んで手を置き、イエスの血潮の能力で祈ってください。御言葉は信者に約束します。

 

「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けずまた病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコ161718

 

信じる人々なるクリスチャンは病をいやし、目には見えなくとも病人の背後に実在して働く霊的存在、病の悪霊を追放することができます。すべての病が悪霊によるものではありませんが、ヨブを苦しめた病のように悪霊に原因するものもあります。

 

 信仰を持ってから、私は不思議に知識の言葉の賜物を受けました、これは預言に似ているけど、また異なる賜物で、通常分からない霊の世界のいろいろなことが、ある瞬間、聖霊さまによって開かれ見えることがあります。初め、救われた頃、主日礼拝中に一番前に座り、聖徒の一人として御言葉を聞いている時、幻におちました。夢は寝ている時見ますが、幻は起きていながら見える神の啓示です。脳の幻でした。不思議と気持ち悪くはありませんでしたが、私は初めこれを何かの私の罪のゆえだと思い、怖くなって心を探り悔い改めをしました。しかし、この鮮やかな脳の幻は一向に消えません。そこで今度はこの幻は悪魔によるものだと結論付けて心の内に命令しました。

 

「脳みその悪魔よ!出ていけ」

 

しかし、私は礼拝を妨げる全く無秩序な悪魔の仕業だと思い、命令したけれども一向に幻は消えません。そこでよく見ると悟りが来ました。脳の右上の所に黒い石のようなできものが見えるのです。これが悪いものだ。

 

「イエスさまの御名で命じる。この石ころ消えろ」

 

そう心の中で祈り命じると、今度はこの石だけが消えて全くいやされた鮮やかな脳になって幻の全体も消えました。不思議な幻でした。意昧も分からず当惑しているとメッセージ終了後、講壇から牧師先生が報告しました。

 

「今日、私たちの教会員のある姉妹が脳にできた腫瘍を取り除く難しい手術をしていますから、そのためにお祈りください」

 

 悟りが来ました。イエスさまはいやし主なのだ。その後も病んでいる体の一部分の幻が肢体として見えることの意味が分かりました。

 

 ある日、私は激しい偏頭痛で苦しみ、強い頭痛薬を飲んだけれども全く効果がありませんでした。そこで、「これは霊的な病だ、信仰で戦おう」と決心してしばらく祈るとうっとり夢心地になりました。この眠り自体、現実の頭痛の激痛よりの救いではありましたが、それ以上に啓示の夢を見ました。見ると私の頭から背中にかけて、何か透明な半液体状のボンドのようなべっとりとした厚みあるものが衣服の上着か長服のように巻きついてくっついていました。

 

 「ああ、これが頭痛を起こす病の悪霊だ」

 

私はこの透明なべったりくっつく物体を捕まえて、力強く持ち上げ命じました。

 

 「イエス・キリストの御名によって出ていけ!」

 

そう命じて投げつけるとこれが体からガバッとはがれて、遠く投げ飛ばすことができました。そしてすぐに目覚めると先程まで床を転げまわるほど苦しかった偏頭痛が、完全にいやされて聖霊さまの喜びだけが満ちていました。悟りが来ました。

 

 「私は今まで色々な悪霊どもと夢や幻、実際にも戦って追い出しているけど、病の霊だけは他の悪霊と違って、いつも透明で目に見えない性質の悪霊だ。だから時々その存在がこのような人の体の一部分の肢体についているシミや腫瘍の幻として示されるのだ」

 

病の霊は夢や幻で人間のような形で姿が見える他の悪霊どもと全く違って、霊の世界でもその姿が見えない特別な性質を持つ悪霊ですが、他の悪霊と同様、実在します。ヨブは悪性のライ病に侵された時、その状況をこのように告白しています。

 

 「夜は私の骨を私からえぐりとり、私をむしばむものは、休まない。それは大きな力で、私の着物に姿を変え、まるで長服のように私に巻きついている。」(ヨブ記301718

 

 ヨブの体験は本当に文字通り着物に姿を変え、長服のような形で張りつく見えない大きな力を持つ病の霊による苦しみであったと私は確信します。これを祈りの力で追放しなくてはいけません。

 

 霊の戦いには経験深かな指導者が必要です。私の場合、私がこの世に捨てられ、霊的指導者もなく、夜ごとに数々の悪霊が現われては、首しめと暴力によりひどい苫しみを受け、絶望のどん底にあった時、私を見出して拾いあげてくださった私の妻の母であり、生涯の恩師である純福音教会の今も現役の宣教師、朴栄玉牧師先生です。私はこの真実な牧師先生の大きな愛と犠牲の中で育てられました。朴牧師先生を通して現われたいやしの奇蹟を一つ証しさせていただきます。

 

以前、私たちの教会に心臓病をひどく患う聖徒がいました。三ヵ所の病院に行きましたが、同じく治療不可という本当に死を待つばかりの重病患者でした。そんなある日、水曜礼拝に来てメッセージを聞いていた時のことです。姉妹は突然幻を見ました。

 

講壇の朴牧師先生の上に白く長い衣を着たイエスさまが立たれ、その足元から真っ赤な血潮が流れ出ているのです。そしてその血潮の川が次第に自分の座っている席の方へゆっくり流れてくるのを見、姉妹があっと思う間にその血潮の川は自分をとらえ、心に熱いものを感じました。「私は今いやされた。」聖霊に満たされた喜びのうちに礼拝後、病院に行き、検査してみると完全にいやされていました。イエスの血潮は肉体の病もいやす神の力です。

 

 また、ある姉妹は大変なひざの痛みがあり、階段を降りるにも一段一段がゆっくり静かな真剣勝負でした。そんなある日のこと。金曜徹夜祈祷会で姉妹が祈っていると、突然目の前に開かれたクリアーな幻が現われました。そこに見たものはひどくむち打たれ、引き裂かれたイエスさまの背中そのものでした。イエスさまの背中には無数のむち打たれた傷跡が生々しく残り、深く肉がえぐられており、そこから真っ赤な血潮が大量に流れ出ていました。幻を見つめるうちにイエスさまのみ声が聞こえてきました。

 

「あなたが信じようと信じまいと、私は現実にあなたのいやしのためにむち打たれたのです。なぜこのことを信じないのですか?」

 

姉妹は驚きのあまり震える声で繰り返し告白しました。

 

「信じます。信じます。信じます! あなたは私のためにむち打たれて血潮を流し、苦しまれたことを。私は信じます。イエスさまの打ち傷によって私はいやされました!」

 

その日の帰り道、姉妹は階段の所ですでに完全にいやされて自由に昇り降りできる自分を再発見しました。

 

 トルコの聖リピヤ寺院に「イエスの審問及び処刑に関してカイザルに送ったピラトの報告書」という五十冊に至る当時のローマ皇帝への報告書が所蔵されています。

 

これは聖書の証言の上に出るものではありませんが、確かな昔の公文書です。それによるとイエスさまが人として歩まれた当時、荒っぽく傲慢な律法学者やパリサイ人たちからイエスさまの言動に対する抗議が毎日のように総督府に寄せられ、イエスさまに対する陳情書がカイザルに提出されたこともあって、さらなる迫害と暴動を懸念した総督ピラトは手紙を送って、イエスさまと総督府で一度出会ったといいます。それは公生涯のうち、三年が過ぎたくらいの時期、十字架を直前にしてのことです。

その時、イエスさまは総督府のピラトに対して静かに語られました。

 

「地の君主よ。…まことにあなたに告げますが、シャロンの薔薇が咲く前に正義の血が流されるでしょう」

 

そこで、総督ピラトはナザレの青年イエスの謹厳で、崇高な態度と語られた御言葉に深い感動に打たれて、意味もわからずに答えました。

 

「あなたの血は流されないであろう」

 

しかし、その後、過越の祭りがおとずれ、イエスさまの定めの時が来ました。ピラトの庭でむち打たれ流れ出たイエスの血潮はゴルゴタの丘へ連れ出される途中、総督府の玄関の階段に点々と、こぼれ落ち、そこにそのまま染みついていたと記録されています。これほどまでにイエスさまは大量に出血され、肉の衣を裂き十字架につけられていたのです。

 

さらに十字架の上でも生き続け、動くため手足の釘打たれた傷はかさぶたでふさがらず流血は続いたのです。私たちのために身代わりとなって、これほどまでに苦しんで血潮を流されたイエスの恵みに感謝していやしを受け取りましょう。

 

 聖書は断食についても勧めておりますが、断食治療には神さまよりの直接のいやしに加えて医学的にも血液中の老廃物を取り除き、健康を回復する作用があり、長寿の秘訣でもあることが知られております。また、人の命は血にあることも聖書は教えており、輸血も薬も認めております。ヒゼキヤの腫れ物にはひとかたまりの干しいちじくが薬として神さまから与えられており、恐れが多くストレスから胃腸が弱かった若いテモテには少量の葡萄酒を薬としてパウロは勧めております。

 

 薬について黙示録三章一八節では空中携挙直前の今の時代は医学も発展し、物質的に豊かな時代ですが、霊的に盲目とならないように、主から目に塗る目薬を買うよう勧めております。

 

聖書はまた、西洋医学ばかりでなく、東洋医学も認めております。イエスさまが奇蹟的に盲人をいやされた時、イエスさまのつばきを中東の泥に混ぜたものを盲人の目に塗ってシロアムの池で洗うように言われました。イエスさまのつばきプラス中東の土、これは立派な漢方薬でしょう。

 

ですから、私たちは病気になって病院へ行ったり、薬を飲むことは不信仰でありません。病院も薬も神さまがいやしの手段の一部として、この世におかれたものです。

 

ただ、現代医学でも治療ができなかったり、特別に信仰が生じて導かれた時は薬を投げ捨てて、断食して祈りを求めて冒険してください。いやしの奇蹟を現実に信じる時、イエスの血潮が流れてきて奇蹟を起こします。