十二部族の宿営

 

旧約時代、イスラエル十二部族の荒野における宿営の仕方は、私たちに大きな教訓を与えています。

 

民教記二章では平野の広がる荒野を旅する途中イスラエル十二部族は、各々その父祖の家ごとにかたまって会見の天幕の周りに距離を置いて主の御前、整列してきちっと宿営する定めがありました。中心に位置する会見の天幕とは一キュピト=五〇センチで計算すると、縦五〇メートル、横二五メートルの長方形の形でした。

 

この幕屋の門がある前側の東方向には、いつもユダ族とイッサカル族とゼブルン族が宿営する場所であり、登録した男だけで一八万六四〇〇人もいて、この東側に延び集団が最も数多く、彼らは部族ごとにきちっと並んで宿営するため上空から見るとちょうど長い長方形の形をしていました。

 

一方、幕屋の後ろ側の西方向には、エフライム族とマナセ族とベニヤミン族が宿営し、この西側に延びた集団は、最も数少ない一〇万八一〇〇人。

 

そして幕屋の両横側にはまず南方向に延びる、ルン族とシメオン族とガド族が宿営し一五万一四五〇人。

 

幕屋の反対側の横である、北方向には、ダン族、アセル族、ナフタリ族が宿営し合計一五万七六〇〇人。これは反対方向の南に延びる集団とほぼ同じ数のため幕屋を中心に同じ位の距離まで南北におのおの延びていました。

 

ですから、彼ら十二部族の宿営の状態はレビ族の奉仕する長方形の幕屋を中心に東西南北へ秩序正しく延びており、その父祖の家ごとに距離を置いて整列されていたのです。

 

その総数は六〇万三五五〇人ですが、これに登録されていない老人や子供たち、女性を加えると多産なヘブル人社会(出エジプト17、民数記223)、二百百万人はいたのです。

 

すなわち、これら全イスラエルの宿営地を上空から見下ろすと、彼らは巨人な十字架の形をした大行進だったのです(図6参照)。ハレルヤ。荒野の教会です。

 

も、教会は十字架の大行進としてすべての人数を加える時、初めて本当の十字架の形になるのです。ものの数に入っていない登録外の無名な、取るに足りない存在と思っていた、そんな私たち一人ひとりが重要な、なくてはならない十字架の欠けた形を満たす大切な一人ひとりだったのです。だから今、パウロと共に大胆に告白しましょう。

 

「ですから私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだ(教会)のために、私の身をもってキリストの苦しみ(十字架)のかけたところを満たしているのです。」(コロサイ124