アダム2
エデンにいる数多い動物たちは確かにある程度はアダムの助け手として、牛は牛乳を供給し、馬やロバ・らくだ等は荷物とアダムを運ぶ自動車にもなり、犬は番犬や盲導犬の使命、鶏は目覚し時計、小鳥たちは美しく心を和ませる快適な暮らしのBGMなど役に立ちましたが、アダムにとって最も大切な霊的な分野を助けられるふさわしい助け手はどこにもいません。霊的に孤独で落ち込みそうなアダム。しかしその時です。
すべて気落ちした者を慰め励ましてくださる神である主が、深い眠りをアダムに下されました。アダムは神さまからの眠りの霊にとらえられて、グーグーと眠り始めたのです。
そしてアダムが熟睡している時に、神さまは大胆な外科手術を行ないました。アダムのわき腹を切り裂いて血を流し、そこから一本のあばら骨を取り出し、再びそこをふさいで治療しました。この取り出された骨を原料に一人の女を造り出したのです。アダムにふさわしい助け手エバです。
ここで現代の西洋医学の飛躍的な発展をもたらした麻酔薬の起源とは、聖書のこの記述をヒントに発明されたそうです。眠っている間に、骨を取り出すような大手術をしても意識がないから痛みなく治療ができます。聖書は現代医学に大きく貢献しています。
ちなみに現代の癌治療に欠かせないラジウムを発見し、その製造法に特許を取って巨万の富を得ることなく、神さまがすべての人類のいやしのために世に与えたものとして、無償で広く普及させたキューリィ夫妻もクリスチャンでした。
エバはアダムのあばら骨をもとにして造られました。ユダヤ人はこの御言葉から女がアダムの頭の骨でもなく、足の裏の骨でもなく、アダムの心臓に近いあばらから取られたことについて、女は男の上に立つものでもなく、男の下に踏みにじられるものでもなく、平等な存在として、心臓のように大切にすることを認識するそうです。アダムはそのような感覚のもとで女を見て大喜びして讃美しました。
「これこそ、今や、私の骨の骨、私の肉の肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから」
こうしてアダムはエバを喜んでめとり夫婦は一体となったのです。その後、アダムは新婚生活の感動覚めやらぬうちにかねてからの願望、今まで達成できなかった合同礼拝を成就しようと挑戦してエバにすぐ呼びかけました。
「私の妻よ。一緒に礼拝をしましょう」
すると今までとは全く異なる反応が返ってきました。
「はい。あなた」
そして一緒に讃美が姶まりました。
「♪ 海と空 造られた主は…♪」とアダムが讃美を導くとエバも一緒になって
「♪ あなたの主 私の神…♪」と一緒に讃美ができるのです。
「ハレルヤ!」アダムは嬉しくてたまりません。
そして今度はアダムが「主よ!」と祈り始めるとエバも一緒になって「主よ!」と言って一緒に祈り、一緒に感謝を捧げ、一緒に礼拝ができるのです。
「これぞまさに私にとって最もふさわしい助け手だ」
アダムはこうしてハレルヤ感謝で妻を愛し幸せに末長く(九三〇歳)暮らしていったのです。
ローマ人への手紙五章一四節ではこのアダムに対して「きたるべき方のひな型です」と書かれています。きたるべき方とはイエス・キリストです。またコリント第一の手紙ではイエスさまについて彼は「最後のアダム」であると証言されています。それはどういう意味でしょうか。
最初の人間アダムと、後に来られた神のひとり子イエスとは、いろいろな意味で共通点があるのです。それゆえイエスさまは、最後のアダムと呼ばれているのです。最初の生まれ方について考えてみましょう。アダムはどのようにして造られたのでしょうか。
神さまが土地のちりで形造って、その鼻に直接いのちの息を吹き入れて、人は生き物となって立ち上がったのです。アダムは人間の肉の父親を持たないで、超自然的に神さまより直接生まれたのです。それは不思議な出生であり、神さまの神秘です。
そしてイエスさまも同様の神秘的なお生まれをしました。イエスさまの出生にも肉の父親がいなかったのです。聖霊さまによって超自然的に直接神さまより生まれたのです。この点においてアダムとイエスには共通点があるのです。
またアダムは三位一体の神に似るように創造されたため、人類の中で一番よく神さまに似たかたちを持つ原型のような存在であったと仮定すると、最後のアダムなるイエスは「見えない神のかたち(神のイメージ)であり、造られたすべてのものより先に生まれた方」(コロサイ1:15)であり、イエスさまは見えない神のイメージの完全な見える現われですから、半分ジョークですが、昨日も今日もとこしえに変わらない神さま中心に似せて造られたアダムとイエスさまは、互いによく似た姿かたちであったかもしれません。
その後、アダムの生活にも共通点がみられます。アダムが動物たちに名前をつけ始めました。そこには数多くの動物たちが、次々と神さまから呼ばれて集まってきました。それらユニークな一匹一匹にその起源や特徴にふさわしい名前をつけていったのです。
例えばこんな感じに「君は首が長くておもしろいね。キリンと名づけよう。君は耳も体も大きくて鼻が長いからゾウと呼ぼう……」これがアダムの使命でした。
ちょうど最後のアダムなるイエスさまも同じような使命があったのです。イエスさまは三〇歳から公生涯が姶まりました。イエスさまは熱心に断食祈祷され、徹夜で祈りあかされた翌日、父なる神の御旨に従い十二人の弟子たちを選ばれたのです。その時イエスさまはユニークな動物たちのような個性の強いそれぞれ異なる性格を持つ十二人が集まって来たのをみて、本当にほほえまれて名付け親として一人ひとりにあだ名を付けられたのです。
ペテロがやって来ました。彼の本名はシモンといって、その性格は揺れる葦のような気質でした。ある時には「イエスさまを絶対裏切らない」と愛の告白をしたかと思えば、ある時は「イエスさまを知らない」と三度裏切る告白をしてしまう、右に左に揺れ動く軽い植物の葦のように心定まらないペテロの優柔不断な本質を見ぬいてイエスさまは「あなたはペテロ(岩)だ」と新しい名前を与えて励ましました。その願いは将来岩のように堅く不動な強い心の人になって、初代教会の柱になることでした。
つづく