ヘブル1124節ではイエスさまの十字架で流された正義の血潮について「アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血である」と記されています。

 

 

 私の妻が聖霊のバプテスマを受けた時、イエスさまの十字架を見ました。その証によると妻は始め、聖霊さまを求めて一人部屋にこもり、正座しながら壁に向かって真剣に祈りました。するとほどなく目の前に開かれた幻が見えてきました。道行く前方に十字架にかけられたイエスさまが現われ妻の心に衝撃が走りました。

 

今までイエスさまの十字架について目にしたどんな美しい聖画とも異なり、幻で直視した実際のイエスさまは、全身が血潮にまみれたひどい悲惨な状態だったからです。いばらの冠を受けた御頭から大量の血が長い髪の毛をぬらしながらしたたり落ち、イエスさまご自身目を開けられないほど御顔を赤く染めていました。

 

妻はその時、イエスの血潮の注ぎを受けて聖霊のバプテスマを体験しました。すると目の前に異なった二つの道が現われました。一つは広い道、もう一つは狭い道です。御言葉を思いながら狭い道を選択して歩き出すと、やがて険しく曲がりくねった危険な道に、数頭のほえたける大きなライオンが現われ、繰り返し幻の自分に襲いかかろうとジャンプしながら接近し、おびやかしてきました。ライオンたちが前後に妻を包囲し、もうこれ以上進むことも戻ることもできなくなった恐怖の只中、突然、神さまの御声が天からはっきりと聞こえて来ました。

 

「わが子よ。恐れてはいけません。そのライオンをよく観察しなさい。そのを見なさい。すベての牙はすでに抜かれているではありませんか。その足を見なさい。すべてのつめもすでに抜かれているではありませんか」

 

よく見ると確かに危害を加えることのできるあらゆる鋭いものはすべて除かれており、ただジャンプとほえたける大声でおどかしているだけであることに気付かされました。

 そこで思いきって前進すると、その瞬間ライオンは一匹残らずその場から消え去り、かわりに場面は一変して、美しく輝く天国の情景が現われました。

そこは大いなる空が無限に広がり、この世で見たこともない美しい花々がすばらしい香りを放ちながら咲き乱れ、聖なる讃美が天国中に鳴り響き、表現できないレベルの幸福感が心を支配しました。ところが、幸福もつかのま足元のはるかに低くなった外側の別世界を眺めると正反対の色彩を放つ暗闇の地獄が実在するではありませんか。

 

 幻を見つめているうちに、人々の大群衆が列を成して広い道を行進するのが見えてきました。

人々は互いに楽しそうな日常会話に夢中になって、一体自分が今何処に居るのか何処に向かって行進しているのかも分からずに、ただひたすら目先の会話に夢中になって、恐ろしい絶壁をもつ崖に向かって勢い良く行進しているのです。

 

「これは大変だ!誰かがこの滅びに突き進む大行進を止めなければいけない!」と思いつつ、涙で力の限り大声で叫んで彼らに警告しました。イエスの血潮を受けた妻自身が十字架救いを語るメッセンジャーとなり、血潮の声となりました。

 

しかし、人々は一向に会話に夢中になって歩き続け、崖の下にはすでに滅びた多くの魂が恐ろしい骸骨となって積み重なっては焼かれていたそうです。滅びに至る道は広く多くの人々がそこを歩みます。しかし、どうしても強い決断を持って、この世と調子を合わせることなく、勇気と信仰を持って進み行かねばならない唯一真の細く険しい道こそ、イエスさまのおられる十字架の道、血潮の道、天国の道です。

 

 

 

今、午前九時から午後三時までの六時間、荒削りの十字架へさびた釘で手足を打ち付けられたイエスさまから流れ出た聖なる血潮が、私たちに語りかけている七つのメッセージに耳を傾け、広い深い御言葉の奥義を共に学びましょう。イエスの血潮の力の本質を悟ると信仰生活が実質あるものとなり、必ず祝福と奇蹟がともないます。