第二にイエス・キリストの血潮は私たちに聖霊さまを注ぐ力となります。

 

女の子孫

 

罪赦された神さまの子供には次に聖霊さまが与えられます。

初めの人間アダムは自由意志を乱用し、善悪の知識の木の実をとって食べる罪を犯したため、神さまから離れた罪人として堕落しました。

ただ善だけ知っていれば良かったはずのアダムは悪をも知る者となり、その内に罪悪を宿しました。

そのためアダムより世界に広がった全人類は、皆、父から子へ代々、罪の血の種を遺伝的に与えながら身ごもり出産を繰り返してきたため、人々はこの内に巣食う原罪と戦いながらも生まれつき御怒りを受けるべき子らとして、誰一人これに打ち勝てる人はいませんでした。

ダビデはこれを嘆いて告白しました。

 

「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私を身ごもりました。」(詩篇515

 

 しかし、最後のアダムなるイエスさまは、この人類共通の課題である原罪という大きな問題をみごとに全面解決した上で、世に生まれて来られた救い主です。イエスさまは、はじめの人間アダムのように肉の父親によらず特別な方法で生まれたお方です。

 

聖霊さまにより処女マリヤを通して出産されたことにより、イエスさまは女の子孫(創世記315)として肉の人間の父親の遺伝的な罪の血の種を受けることなく生まれることに成功したのです。普通はすべての人は「男の子孫」として肉の父親の罪の血を受けてから身ごもります。

 

しかし、イエスさまだけは肉の父親の種を受けずに、聖霊さまによって身ごもりました。医学的には血液は必ず父親から遺伝し、母親からは一切胎児に入らないようにできています。もともと人の男性精子にも女性卵子にも血はありませんが、これらが輸卵管内で一つになる妊娠の瞬間、血液型が決定します。やがて胎児が胎内で成長する過程でも、母親の血が胎児に一切入らないように胎盤で保護されます。そのため血液は母親ではなくただ父親からだけ子供に遺伝するそうです。

 

こういう訳で肉の父親と関係なく聖霊さまによって生まれたイエスさまは、人に代々流れる原罪の要素が全くないお方であり、その血潮の中には、ただ天の父なる神よりの正義と聖い命が流れており、天の父なる神の血統を直接受けて生まれることに成功した世界で唯一の罪なき救い主なのです。このような救い主として資格ある貴い血潮が十字架上、私たちのために注がれたのです。

 

 イエスさまの公生涯、周囲には信仰深い女たちが勢いて仕えており(マタイ2755、マルコ1541、詩篇6811)、もし願われれば結婚し、子供たちをたくさんつくることも充分できたはずです。しかし、イエスさまが父なる神の特別なご計画の中で、そうされなかったのは、そのような肉による出産のかたちで神さまの子孫を地上に増大させ、世を救うことを願わず、むしろ信仰によって御名を信じる者を救われることを願って御心の内に定められたからです。

 

「しかし、この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血(人間的な血筋)によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ11213

 

 実に「義人は信仰によって生きる」からです。そのため今は唯一、神さまが人となられたイエスさまの御名を信じた人々に約束の聖霊が注がれて、罪なき女の子孫イエスの信仰の子孫として罪なき神の子供たちに新生することが出来るのです。それが私たちの聖霊のバプテスマと呼ばれる生まれ変わりの貴重な体験です。

 

 私は小学生の時、大変まじめでとても頭がさえました。そんなある日、ダイナマイトを作ろうと思いました。いつも使っている爆竹花火を大量購入し、人手不足解消に、お友達の家に行きました。そして温かいお友達の協力を得て爆竹花火の一本一本をカッターナイフで丁寧に切ってはほぐし、中身の火薬を全部かき集めました。

 

一本の爆竹をほぐしてもわずか0.何グラム?しか採集できませんが、当時、私は大変まじめだったので一生懸命、おもてなしの心をこめて一本一本の爆竹を丁寧にほぐしては器に入れ、何時間もかけて最後には導火線も通して小型ダイナマイトが完成しました。 

期待を胸にこれをベランダに設置して着火すると「ドカーン!」

想像以上の爆音と共にガラス全部が割れるかと思うほどベランダがビリビリ振動しました。そのとき私の心もビリビリ震えて感動し決意しました。

 

「よし、今度はもっと火薬増量版の大きなダイナマイトを作ろう!」

 

決意を新たに大量の爆竹を再購入し、また一本一本をほぐす気の遠くなるような作業を再開しました。まじめにほぐしては微量ずつ器に入れる。永遠とこの繰り返しの後、何時間たったでしょうか、両手と両鼻の穴が火薬で真っ黒になった頃、増量版第二号がついに完成しました!

 

「ヤッターー」

 

お友達と喜び踊りながら爆破場所を近所の曙公園に定めて全力で走り出しました。いつもお世話になっている曙公園を突き飛ばしてあげようと思ったからです。現場に到着するとちょうど子供たちの作った山が砂場に備えてありました。そこでその砂山を占拠して頂上付近から真っ直ぐ増量版第二号を差し込んでライター片手に叫びました。

 

「爆発するぞ!みんな逃げろ!」

 

そして導火線に着火して全速力で逃げ去りつつ振り返ると、その時!

「ポンッ」と低めの、にぶい音がして公園全体ではなく、砂山の頂上付近だけわずかに吹飛びました。

「あれ?」

 

その後のまじめな現場検証で私は悟りました。

「ダイナマイトは砂地のような柔らかい場所ではなく、ランダのような硬い場所に固定設置して発破したほうが破壊力が絶大になるのだ!」

 

 

「イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:67

 

イエス様が教えてくださった聖霊様があなたがたの上に臨まれるとき、受けられる「力」とは、ギリシャ語の「ドュナミス」がここに使われています。この言葉の派生語がダイナマイトです。

そうです。聖霊様の国家を復興するほどの大きな力とは本来、ダイナマイトのような強烈な破壊力です。

 

聖霊様の力は心の地盤が砂地のように柔らかな、一見素直で容易に何でも受け入れる人よりもむしろ、時に福音宣教に対して頑固に敵対する迫害者のような人のほうが、いったんさく裂するとその壊れ方は凄まじく激変することがあります。絶対、聖書も聖霊様も受け入れないかたくなだった人が、壊されて福音化されると、誰よりも熱心な伝道者になるということがあります。

 

最も硬い律法的迫害者だったサウロが史上最大の伝道者パウロヘ生まれ変わったように!

大きな視野では頑固で硬い霊的状態の国家や地域や個人こそ、いったん聖霊様のドュナミス爆弾がダイナマイトのごとく、さく裂したならば「ドカーン」と大きく変えられる可能性があるのです。

日本も近い将来、聖霊様の力で爆発的に激変できます!