引き裂かれた一頭の若い獅子

 

 サムソンは主に聖別された生まれつきのナジル人として聖霊さまによる特別な能力が与えられていました。径力です。しかし、彼が主に従って、その賜物を神さまのために用いない限りは、遊女におぼれて人々を困らせるばかりのつまらない生涯でした。ある時、サムソンはペリシテ人の娘を心に留め、その女との結婚生活を夢見ながらサムソンの父母の所へ結婚許可を求めに帰りました。

 

敬虔な信仰者であるサムソンの父母は律法に背く異邦人との結婚の願いのゆえに、心をとても痛めました。このように日々、肉の思いのまま気の向くまま暮らすサムソンが、ある時、葡萄畑にやって来ると、そこに神さまよりの裁きの象徴であり、審判の道具でもある一頭の若い子が送られ、吠えたけりながら牙をむいて真っ直ぐサムソンに立ち向かってきたのです。

 

 「このとき、主の霊が激しく彼の上に下って、彼は、まるで子やぎを引き裂くように、それを引き裂いた。」(士師記146)。

 

サムソンは径力です。その後しばらく日数が経ったある日のこと、不意にサムソンはあの獅子の死体をもう一度見たいと思いつき、以前獅子を引き裂いた現場の脇道に一人入っていきました。すると、何とそこに発見した獅子の引き裂かれた死体の体に蜜蜂の群が巣を作って住みつき、そこにあまいハチミツを蓄えていたのです。サムソンは喜んで獅子の体じゅうからハチミツを手でかき集めて歩きながら食べ、家に持って帰って自分の父母にもおみやげとしてプレゼントしました。

 

 この不思議な出来事を霊的に解釈すると、象徴的な意味があります。旧約時代、主は律法を目安として、罪人にはいつも吠えたける獅子のごとく厳しく裁かれるお方でした。しかし、公義の神さまの罪人に対する聖なる御怒りと憤りは新約時代に、人類の代表として罪なきイエスさまに下られ建物を守る避雷針に雷が集中して落ちるようにただお一人厳しい審判を受けました

 

キリストはとこしえの御霊によってもっとも凄惨な処刑道具、十字架につけられ(ヘブル914)、肉体が引き裂かれ、血潮を流して死なれたのです。その様はサムソンに宿る聖霊さまが獅子をまるで子やぎを引き裂くように、引き裂いて殺したようでもありました。

 

その後三日目によみがえられたイエスさまは四〇間、弟子たちに現われ、ご自身の復活を証明されてから天に昇られ、それからしばらくした十間が過ぎた、復活より合計五〇日の日数が経ってから天よりの約束の聖霊さまを私たちに注がれたのです。

 

その注がれた聖霊様の恵みは、引き裂かれた獅子の体内からしばらくした後、集められた甘いハチミツのようであり、厳しい旧約の律法的裁きの御言葉が聖霊様の力でイエス様の十字架上、引き裂かれた御体を通して、その内よりあふれ出た甘い赦しといやしに富む新約の恵みの御言葉に変えられたのです。まさにサムソンのなぞかけ「食らうものから食べ物が出、強いものから甘い物が出た。」(士師記1414)とは引き裂かれたイエスさまからあふれ出た甘い聖霊さまの蜜のような恵みだったのです。その祝福の蜜はサムソンが父母に分け与えたように、私たちの全家にも及ぶ両いっぱいの祝福なのです。

 

かつてナタンが、森で見つけたハチミツを杖の先でとって食べると、疲れた体が回復して目がきらきら輝いたように(第一サムエル1427)、聖霊さまの蜜を食するなら私たちもいやされて回復し、目を輝かせる霊的命の糧となるのです。

    

ある町に裁判官を務める父親と自動車事故を引き起こした息子がいました。簡易裁判のにこの息子は法廷に立たされました。その、何と裁判官は自分の父親その人でした。裁判官は実の息子に対して、獅子のように厳しい顔で接し、法廷を開催しました。裁判官は質問します。

 

「被告人、まずあなたの名前と住所を述べなさい」息子は全く驚いた様子で答えました。

「お父さん。私はあなたの子どもですよ。あなたが一番よく知っているでしょう」

 

 しかし、裁判官は律法的に毅然とした態度で厳しく被告人の息子を制して、再び同じ質問を繰り返しました。このようにして裁判がとりおこなわれ、詰問の結果、最終的な判決は被告人に対する罰金刑ということで法廷は閉じられました。その日、家に帰った息子は父親に質問しました。

 

「お父さん、お父さん。どうして今日、お父さんはあんなに厳しく私を取り扱われたのですか。私を愛していないのですか」

 

父親は息子を優しく抱擁して微笑みながら答えました。

「愛する我が子よ。私は法廷についている時、私は公義の裁判官なのだよ。誰であっても被告人には厳しく正しい判決を下す立場にあります。しかし、今は違います。こうして家に帰ると私はあなたの父親です。息子よ、あなたの今受けた罰金は、私が全額代わりに支払ってあげましょう」

 

 イエス・キリストの十字架で、引き裂かれた肉体とそこから流れ出血潮を通し、父なる神さまに出う時、公義の審判官は優しい父となり、すべての律法的罪の負債は免除され、誰でも神さまの子供として、アバ、父と呼びながら親しく甘く恵みに富む聖霊さまの蜜を体験できるのです。

ハレルヤ