契約の箱に注がれた血3

 

19は上方に突き出た祭壇石の写真であり、礼拝目的で初代教会の信者たちによって作られたようです。図17の中で左端の岩壁中央から突き出ている岩です。

 

 図20は有名なイエスさまが葬られた墓の入り口付近の写真ですが、その長方形の墓の入り口には二千年前ローマ兵がとびらとして一度は使われたはずの封印石が、今では封印の鎖もろとも跡形なく紛失しており、これについて一体どこに移動されたのかを説明できる考古学者は今まで誰もいませんでした。

 

 しかし、地中から発見された大きく丸い封印石の直径はこの墓の入り口の外壁両側(図20、A点とB点の辺り)に現在も残る封印石の置かれていたとき付いた傷跡と大きさが完全に一致しました。

 

 さらに図21をご覧下さい。これは中央のイエスさまの十字架が立てられた穴の写真であり、図22はその穴から広がるさく裂部分の拡大写真です。そしてこの穴が土砂で埋まらないために使われたと考えられる切り出して加工された石がこの穴の栓となって入っていたのです。それが図22です。

 

ゴルゴダの丘は全体が岩山で所々水流で浸蝕されて天然の洞窟や狭いトンネルのような抜け穴が多数存在します。そこでロン氏はこのどくろの岩山の真下にも天然の洞窟があるのではないかと考えて、岩肌をハンマーとチーゼルで砕いて無理矢理掘り進め、やがて壁が崩れるようにして中に天然の洞窟を発見しました。しかし、それは洞窟と言う上り迷路状に屈曲した狭い小穴のトンネルで人がはいずってようやく入れるほどであり、これら小穴のうちのどこか一つに過去に人が来た形跡がないかを調べたのです。

 

 二〇人ほどのアラブ人の土方アルバイトを雇って、ゴルゴダの丘の穴という穴をすべて調べ続けて一九八二年一月六日午後二時、彼はたった四五センチの隙間の小穴のトンネルを懐中電灯片手にはいずりながら進入するとそこにはなぜかコブシ大の石が積まれており、これを片手で取り除けながら進むと石の向こうにポカッと穴が空き、そこに天上から五〇センチ近くまで埋まっている閉ざされた小洞窟を発見しました。地下約一二メートルの網の目状のトンネルの中です。

 

 そしてその発見された小洞窟の狭い空問に獣の皮で覆われた金の机が置かれているのが暗闇の中、懐中電灯に照らされました。それは聖所で使われていた備えのパンの机と判明。さらにこの閉ざされた空間の中に契約の箱が隠されていたのです。契約の箱は古代に物を保存するためによく使われた長方型の薄い石棺にすべてすっぽり収められており、その石棺の平らな上ふたは二つに割れており、割れたうちの小さい方が横にずれてそこに開かれた隙間ができており、小洞窟内の天上部のひび割れた裂け目にも真下に位置するその割れた石棺の開かれたふたの上にも中にも黒く固まった血がついていました。