いばらの王冠

 

 天国で私たちは将来、栄光の体に冠を受け、光り輝く清い麻布を着ることが許されます。

私たちのいただく冠とは、あらゆる角度から装飾された大変美しいものです。

 

「命の冠」(黙示録2:10)・「金の冠」(黙示録4:4)・「栄光の冠」(第一ペテロ5:3)・「義の冠」(第ニテモテ4:8)・「喜びの冠」(ピリピ4:1)・「栄光の冠」(蔵言4:9)・「誇りの冠」(第一テサロニケ2:19)、などと呼ばれており、黙示録四章一〇節によると、天国の二四人の長老たちは自分の冠を御座の前に投げ出して、ただ神さまだけを礼拝しています。

 

彼らが自分たちの冠を投げ出したのは、美しく高価な冠以上に、すべてを創造し、与えて下さった主ご自身を礼拝することが最高にすばらしく、主をあがめたい一心から夢中になってすべてを捧げ、冠を投げ出し、自らを低くしてまでも神さまを高めたい真の礼拝者たちの心の現われだと思います。

 

私たちも本当に霊の目が開いて主を知るならば、それぐらい夢中になって主を愛し、礼拝するにふさわしい今、私たちの知る以上に限りなくすばらしい神さまです。その理由は、私たちのいただく冠も衣も命も、すべてはイエス・キリストが身代わりにいばらの王冠を受けて血潮を流し、衣を失い、裸の恥を受けつつ、十字架で命を捨てられたからです。

 

山岳救助犬ディペンダブルの実話を御存じですか?

ある日、雪山で遭難者を助けに行き、死にかけていた男を見事に発見、訓練通り遭難者の冷えた体を温めようと覆いかぶさり顔を舐めましたが、セントバナード犬は一八〇センチ体重八〇キロ

 

意識を回復した遭難者はとっさに狼に襲われていると思いパニックになってナイフでこれを刺してしまいました。よろめくディペンダブルは抵抗もせず、山小屋へ逃げ帰り、そこで息絶えました。皮肉にも遭難者は雪上に滴り落ちたディペンダブルの真っ赤な血の跡をたどって無事下山できたそうです。

 

私たちが今、生きるのもイエス・キリストが犠牲に流された命の血潮があったからです。