契約の血

 

私たちを下にある黄泉の地獄から逃れさせて、上にある天国に招き入れる力が、イエスの血潮にはあります。聖書は約束以上の約束、契約します。

 

「あなたについても、あなたとの契約の血によって、わたしはあなたの捕われ人を、水のない穴から解き放つ。」(ゼカリヤ911

 

聖書中、主のしもべたちは時に、地獄のひな形のような環境を体験しています。その実例として第一にエレミヤです。彼は預言した真理の御言葉のゆえに迫害され、水のない泥の穴の中に投げ込まれて沈みましたが、エレミヤはその後、再び網で穴の中から引き上げられ、命を取り戻しました

(エレミヤ3813)。

 

 第二にシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの三人です。彼らは偶像礼拝を拒み、御言葉に命を懸けたため迫害され、普通より七倍も熱い火の燃える炉の中へ投げ込まれましたが、主を愛する彼らに火は全く効き目なく、再び彼らは王の命令により火の中から出されました(ダニエル326)。

 

 第三にダニエルです。彼もまた信仰のゆえに迫害を受けて、獅子のいる穴に投げ込まれましたが、神さまに信頼するダニエルに獅子は何の害も加えず、再びダニエルは穴から出されました(ダニエル623)。

 

 ここで福音のゆえに迫害され、通常死すべく滅びの穴の中に落とされながらも奇蹟的に命を得て、再びそこから出てきた、死に至るまでも忠実だった彼ら信仰の勇士たちは皆、義なるイエス・キリストの十字架の死と下られた黄泉からの三日目の奇蹟的復活の栄光を証ししています。

 

 そして、このことは私たちも同様です。それは、第一の、暗く水のないうじ虫の這う泥の穴の孤独。第二の七倍に熱く燃えさかる炎。第三の吠えたける獅子の攻撃のような悪霊からの拷問。これら三つの穴のすべてがミックスしたような滅びの黄泉の穴から、私たちは今すでにイエスさまの十字架の血潮信仰で救われて、義人とされているからです。

 

主が与えてくださった信仰と救いとは、旧約時代の偉大な信仰の勇士たちの奇蹟的生還体験に等しく、それほど大いなる驚くべき永遠の救いです。

 

 天国も地獄も現実の世界です。私は初め救われた後、すぐに伝道を連日繰り返すようになって一つの疑問がわきました。私は自分で宣べ伝えているようにそんなに恐ろしい地獄が本当にあるのだろうか。教会の教師の一人に質問しました。すると兄弟いわく「聖書には地獄という言葉はないし、人間に対する裁きも今とは異なる体で一瞬のこと、すべては消えてしまうものだ」と言いました。

 

 私は黙示録に発見した永遠の火の池をあらかじめ知っていたため、「これは違う。兄弟が恐れる私を安心させようと人間的な考えで誤った福音を語るものだ」と思いました。

 

その後、私自身、聖霊さまによる万軍の主の熱心と肉の力による人間熱心の見分けもなく、神さまを喜ばせようと、あまりに連日激しく、路傍伝道を繰り返して叫び続けたため、四方八方から迫害を受けて、様々の戦いの中で、後は次第に疲れ果てて救霊前とのギャップの大きさにもカルチャーショックを受けつつ次第につぶやきが出てきました。私がつぶやき出すと同時に心はさらにむなしく否定的になり、やがて人生への絶望的な思いと死にたくなるような思いが心を支配してきました。

聖霊さまが自分から遠く感じました。そこで私はつぶやきながら祈りました。

 

「信仰生活は人間の考え通りに行くものではない。今は、霊的戦いが激しく、リバイバルもまだまだ来ない。今まで熱心に伝道してきたけれど期待はずれも多かった。主よ、もう充分です。疲れました。私は死にたいです。私の命を取り去ってください」

 

私がそう祈り終わるとすぐに幻におちて、悪魔が目の前にやってきました。恐ろしい雰囲気に満ちた悪魔はすぐに青白い右手を伸ばし、私の胸に手を入れ、まっすぐ私の心臓を掴みました。それは鋭い爪のある非常に気味の悪い手でした。そして悪魔は強く私の心臓を引っ張り始めました。

私は今、本当にこの瞬間、命が取り去られるのだ、という悟りが来ると怖くなり、しかも死ぬのではなく悪魔に殺されると思うと悔しく、とても嫌になって、そこで即座に悔い改めました。

すると悪魔は手を離して私から去っていきました。本当に恐ろしい体験でした。しかし翌日になると、私は再びあの救われる以前あったような、むなしい思いと死にたくなるような絶望感に襲われました。そこで私は再び祈りました。

 

「主よ、やっぱり死にたいです。今、私の命を取り去ってください。信仰生活は難しいです。私は本当に疲れたのです」

 

 こうして祈り終え、床に転がると再び幻に落ち込みました。私は落とされて黄泉の火の中に投げ込まれました。現実の世界です。本当の地獄です。私の身長の三倍位の火柱が四方八方に燃え広がり、私を取り巻いています。これは熱いなんてものではありません!しかもそんなに恐ろしく赤々と炎が燃え上がっているところなのにとても暗い場所です。地面は乾いた土です。

 

私は今でも、時々、各教会のリバイバルしている幻を見ることがありますが、いつも不思議なことは神さまの啓示される霊の世界では一目見ただけで、だいたいすべての状態が正確に把握できるということです。地獄という霊の世界でもそうでした。この世よりもそこでははるかに五感が優れて鋭敏にすべてを感じ取れ、自分が今地獄にいることもはっきり分かり、この世の記憶もすべてあります。何よりも熱くて耐えられない場所で、そんな激痛の中にもすぐ悟りがきました。

 

「ああ、ここは黄泉の中でもまだ比較的軽い方の場所である。しかし、この炎は昼も夜も消えることなく永遠に続くものだ。今はイエスさまの憐れみによってここはまだ地獄の裁きの中でもいい方だ」

 

 本当に地獄でもこのように物事を正確に考え、わきまえ知れるのです。いや、むしろもっと悟りが早く目覚めた場所です。私は燃えさかる物凄い炎の中でもだえ苦しみ、耐えきれずに叫び声を上げました。

 

 「イエスさま、ごめんなさい。助けて!」

 

 すると、次の瞬間イエスさまは私をそこからすぐ出して下さり、気がつくと、あのいつもの自分の部屋、床の上に倒れていました。ところがこんなにも恐ろしい体験をしたにもかかわらず、再びあのむなしい思いが押し寄せてきました。本当にそれは私を盗み殺し滅ぼそうとする強い種類の悪魔でした。そこで再三つぶやいて祈りました。

 

 「やっぱり死にたい。生きるのが辛い。主よ、私の命を取ってください」

 

 すると今度は祈り終わるやいなや、すぐに幻の内に再びあの地獄へまっすぐ落とされました。以前と変わらず、裁きの物凄い炎の光だけが暗闇を照らす、全く希望のない恐ろしく熱く耐えられない場所です。そこで今度はすぐに叫び、黄泉の穴から悔い改めました。

 

 「イエスさま、ごめんなさい。私が悪かった」

 

 イエスさまはこの時までも、私を愛し赦しを持ってそこから救い出して下さいました。幻から覚めて今度は本当に悔い改めました。しかし、その時の体験があまりにもすさまじくて恐ろしく熱かったため、説明するのが困難で、その後二年間位は誰にも言わずに秘密にしていました。

私は地獄体験をした後の二日間は夜、目を閉じて眠るのが恐ろしくて電気をつけたまま眠りました。もしも目を閉じて、再びあの恐怖の地へ落とされたら大変だと思ったからです。

 

地獄がどんな所か知るのに、少しだけ似た場所がこの世にもあります。それは韓国の高温サウナです。日本より韓国のサウナはもっと高温、高湿度に造られた所がたくさんあります。私の体験ではちょうど黄泉の熱さは、特別性の高温サウナに似て、後はそこに燃えさかる火がついてもっと熱く、耐えられない位に温度を高めて、出口のドアがなくなったら黄泉の完成です。私はこれを韓国で高温サウナに入っている時に、ハッとして思い出し、心臓が高鳴りながら悟りました。

 

 地獄は現実の世界です。私は一日に二度行きましたが、普通は一度行ったらもう絶対二度は行

きたくない恐ろしい裁きの地です。ところが私はもう一回だけ黄泉に行った恐怖体験があります。

 

黄泉の苦しみは大きく分けて二通りあります。それは、以前の苦しみが炎であったことと違い、今度の苦しみは悪魔による拷問ですし。私にとっての地獄体験は、本当の事で壮絶な体験でしたが、時に人々があまり証しを聞いても信じてもらえないことがとても悲しく思います。

 

 ある朝です。幻のうちに主の御霊が私を地獄の黄泉に連れて行きました。黄泉に下る落下中、悪魔の男の声で甲高い傲慢な笑い声がトンネルの壁にこだましながら長いあいだ鳴り響いていました。

 

ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!

 

その後、いくつかの部屋を通過して一つの部屋に私は連れ出されました。地獄にはたくさんの部屋があり、人々の罪の種類や重さの段階ごとに分けられています。中でも私が入れられた部屋は最も恐ろしく厳しい拷問の部屋でした。

 

以前、私が地獄の最も軽い刑罰の炎だけの穴に入ったことと正反対にこの部屋は地獄の中でも極めて恐ろしい場所でした。地獄の中ではそのことが本能的な感覚ですぐ分かります。そこは淫乱と好色、姦淫の罪で滅びた人々が入れられる部屋です。地獄ではこの種の罪で滅びた人々が最も厳しく裁かれています。姦淫の罪は肉体に対する内なる罪であり、その裁きも快楽にふけっただけ厳しく肉体に対する容赦なき激痛です。

 

そしてそこで滅んだ魂を苦しめるのが悪霊たちの使命です。ちょうどそれは、死んで腐敗が始まった動物に自然とうじや汚い虫が集まって来てこれを解体することに似ています。こんなことは神学校でも教わらなかったですが、本当に地獄は徹頭徹尾、物凄い恐怖と激痛と悲しみの地です。私の連れ込まれた部屋は、長方形の形を持つ電気も何もない暗い場所で、そこで悪霊どものゲームとして私自身が苦しみを受けました。

 

ゲームの始まりに、何と売春婦のような冷酷な女が現われて私を見くびり、これが去ったかと思うと、一匹のその部屋を管理する悪霊が現われて、私をつかみ、部屋の壁めがけて投げつけました。

すると、物凄い目に見えない力と勢いで飛ばされて、時速で言うなら数百キロ。今や壁に激突して、即死すると思ったその時、目の前で土のような壁がぼんやりと緑色に光ってから人の形位に膨れあがり、そこからルシファーに似た西洋風の自分の名前を誇らしげに名乗りながら、考えられないほど恐ろしい顔と形の悪霊が出てきて私を跳ね返しました。本当に部屋の壁の中から出て来ました。

 

そのため傷を受け、飛ばされた私は次に反対側の壁に激突しそうになると、そこもうす暗く緑色に光り、壁の中から自分のさらに異なった名前を持ち、それを誇らしげに名乗るもう一匹の悪霊が出て来て、私を再び前の悪霊の時のように跳ね返しました。そうして悪霊どものゲームとして私を部屋の中で物凄い勢いではじき返しながら苦しめました。その音もスピードもすさまじく恐ろしいものです。

 

悪霊どもが次々と地獄の部屋の壁の中から出て来て、しかも一匹一匹名前も顔、形も異なっていて、それはこの世のホラー映画などに出てくる想像上の最も恐ろしく醜い悪魔や怪物の姿と本当に似ていて、そこで与えられる拷問の苦痛は言葉では表現出来ないほどに酷い痛みと恐怖の連続です。

 

 彼ら悪霊どもとよく似た怪物を地上でも見たことがあります。それは子供のころ見た仮面ライダーに出てくる改造人間という怪人たちです。二足歩行だけど顔が熊やイノシシなどをもっと恐ろしく崩したような醜い姿。地獄の悪霊どもはそれらの怪人たちを遥かに恐ろしく凶暴にして身長が3メートル位になった感じでした。とにかく人間が見ただけで嫌いと思うひどく醜い姿、形になっています。

 

私は拷問されましたが、悪霊どもは、これを本当に喜び楽しんで増々力が満ちていき、人の苦しみがむしろ彼らの喜びであり、本当に本来の人間とは全然性質の違う全く憐れみのない生き物でした。私は自分の黄泉での体がばらばらにされていくのを体験しました。息つく暇と休みが一瞬もない激痛の連続です。特に悪霊にアタックされた時は叫ぶ声が出ないほどの痛みです。ある悪霊は肩から下、全身鋭く長い鉄のとげに満ちた体をしていました。そのとげの肩に体当たりされて刺された時は痛さのあまり心の内に死んで逃れたいと思いましたが、そこは死はなく一切愛も憐れみもない絶望の場所でした。

 

 悪霊どもは力の限りあらゆる仕方で、私に拷問の苦痛を与え続け、それは地獄の炎よりもはるかに恐ろしい死の連続体験でした。通常の地上の生活なら一度の激突で即死するほどの衝撃を繰り返し悪霊どもから代わる代わる受けました。あまりの苦しみに私が一匹の悪霊に必死の助けを求める哀れみの目で訴えましたが、悪霊にとっては人間の苦しみがむしろ喜びと力の源であり、私が憐れみを訴えた悪霊は目が合うと苦しむ姿に喜んで強くなりました。

 

全くこの世の常識の通じない冷酷で異常な世界が黄泉です。やがて、私の黄泉の体がバラバラにされた頃、このゲームのような拷問は終了しました。そして、その部屋を管理する悪霊が見えない力で私をつなぎ、別な種類の苦しみを与えるために他の部屋に連れ出そうとしたその時、私が振返って見ると、他の滅びた魂が私の次にこの部屋に役げ込まれているようでした。こうして次の部屋に移されようとしているまさにその瞬間、私は主の御名を呼び求めることを思い出し叫びました。

 

すると私は特別にそこから救われ、この地上に戻されました。しかし、他の滅びた人々の場合はそうではなく泣けど叫べど拷問の繰り返しでした。主は私に言われました。

 

「あなたが、これらを体験したのは現実に地獄があることを人々に語るためです」

 

さらに主は教えて下さいました。

「日本は先祖が霊の姦淫である偶像礼拝を盛んに行なったため、三代、四代と呪いを受け、その子孫は今、肉の姦淫が盛んになりこの罪のゆえに多くの魂がこの現実の黄泉に落ちているのです」

 

 私は涙ながらにお願いしたいことがあります。もしも、この本の読者の中に何らかの罪との関わりがあるクリスチャンがいましたら、どうか、どうか、お願いします。心の底から悔い改めてイエスの血潮で洗われてください。命がけで罪から離れて本当に清められた完全な人になって下さい。罪こそ現実に人を地獄へ落とす黄泉の力です。まもなくイエスさまは世界に帰って来られ、世と世の欲望は消え去ります。死とハデスのかぎを持つ主に向かって力の限り叫び求めてすがってください。

イエスさまはあなたに罪に打ち勝つ能力を与え、勝利者のための永遠の天国を準備しています。このことが主からいただいたメッセージのすべてです。

 

本当につらい黄泉はこの地球の中心にあります(イザヤ149、エゼキエル3114、黙示録43)。

 

「地そのものは、そこから食物を出すが、その下は火のように沸き返っている。」(ヨブ285

 

黄泉は滅んだ魂が第二の死である火の池を待つ待合室、そこはマントルと中核のマグマのように熱い熱い地です。

 

「神は人のたましいが、よみの穴に、はいらないようにし、そのいのちが槍で滅びないようにされる。」(ヨブ33183612

 

 確かにそこは槍を持って滅んだ死者たちを苦しめる悪魔、悪霊の大勢いるサタンの王国です。泣いて歯ぎしりするような地です。そして白くて元気なうじ虫もいっぱい体の中にいます(ヨブ1411、イザヤ6624)。

 

本当にこの様な裁きからイエスさまは十字架の身代わりで救ってくださったのです。すばらしいイエスの血潮のゆえに神さまにどんなに感謝を捧げたら良いのでしょうか。たとえ永遠が一つの□になって神さまをほめたたえてもまだ足りません。

 

イエスさまの愛は天より高く、永遠に続き、宇宙より広く、黄泉よりも深いです。たとえ白い空を紙として青い海を墨としても救い主の大いなる愛は書ききれず、空に空を重ねてもなお足りません。

 

 地獄は現実の世界、天国も現実の世界です。審判より逃れ、今はただ主をほめたたえます。すべてのことが感謝です。私の場合、黄泉の実体験以降、眠っていた信仰生活がかなり目覚めて本気になりました。

 

また、イエスの血潮は私たちを地獄の審判だけでなく、この世の審判からも救われます。