一本の柳の木(アブラハムの神)
ユダヤ民族の起源は族長アブラハムがカルデヤのウルを出て後、パレスチナに来た時から始まります。創世記二一章三三節によると、信仰の父アブラハムはベエル・シェバに着くと先ず第一にそこに一本の柳の木を植え、その所で永遠の神さま、主の御名によって祈りを捧げたとあります。
この記念植樹には深い意味があります。それは将来アブラハムとその子孫たちに見渡す限りのパレスチナの全地を与えると約束してくださった神を信じきったアブラハムの生きた信仰の行ないであり、アブラハム自身「神さまが与えると約束して下さった土地に確かに根を降ろしましたよ」という神への信仰告白となる生きた証しでもあったのです。そしてこの柳の木がすべての異邦人の手前、はっきりとした土地所有の確かな証拠でもあったのです。
私が以前、借家住まいだったころ、私は敷地内の小さな庭に各種の野菜や一年で終わる樹化植物などを熱心に植えましたが、決して成長して深く根を張る大木は将来の引越しを考えて植えませんでした。引越しの際、後で根を張り巡らした大木を移すことは大変な作業であり、将来マンションに引っ越すなら、なおさら置く場所もありません。
しかし、アブラハムは信仰の人です。水を多く吸い上げ深く広く根を張り巡らす柳の木を、わざわざ当時ペリシテ人の多く住む土地の真中に堂々と植え込んだのは、将来を見据えて行なわれた勝利宣言であり、将来見渡す限りのパレスチナ全域を、アブラハムとその子孫たちであるユダヤ人が繁栄して、広大な土地を獲得して、永住型の全面支配をするようになりますよという大胆な信仰告白の現われだったのです。
信仰の父アブラハムは父なる神のひな型でもあります。今もすでに私たちのためにも私たちの生まれる前から一つの生きた証としての一本の木が父なる神さまによって大胆にすべての異邦人が見る前で世界の真中に記念植樹されています。
それはアダム以降失われ、サタンの手中にあった全世界とご自身の民をもう一度全部取り戻すという、父なる神の信仰の勝利宣言であるカルバリ山に植えられたイエスさまの十字架の木です。イエスさまの十字架が私たち神の種族なるクリスチャン発祥の記念であり、起源です。
クリスチャンの歴史はいつも十字架の木との出会いから始まります。今日多くの敬虔なユダヤ人がベエル・シェバを巡礼する際、柳の木を心に留め、神さまとの約東パレスチナ全域支配を思いめぐらすように、敬虔に私たちがイエスさまの十字架の木を見つめる時、そこにある血潮が失われた全世界と、神さまの選びの民を全部この世から取り返す力と希望を与える父なる神の生きた証しとなるのです。
十字架の木こそすべての世人の前で、やがて全世界を取り返す、私たちの確かな働かぬ証拠です。今はまだクリスチャンの数も所有地も社会的、政治的影響力も小さくて、異邦人たちが多く満ちていようとも、たとえ軒に軒を連ねる狭い都会の借家暮らしでも、将来は必ず十字架の木を生きた証拠に見渡す限りの全世界を全面獲得できるクリスチャン永住型全面支配の日、全地に根を張り巡らす繁栄の日が来るのです。
それがイエスさまの地土再臨以降、呪いが全地の表から取り除かれた狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように、わらを食べ、蛇は、ちりをその食べ物とする(イザヤ65:25)千年王国です。
ハレルヤ!